お玉ヶ池

箱根関所の悲しい伝説


PENTAX K-50 f/7.1 1/250 21 mm ISO 200
関所というのは調べてみると
いろいろと興味深いです

ここは芦ノ湖の帰りに その美しいロケーションから
偶然立ち寄った池ですが
お玉ヶ池と呼ばれているそうです


近くには箱根の関所があり
いわれの書かれた高札のような説明には
箱根の関所破りを試みて囚われて
獄門となった お玉の身の上について書かれています







江戸時代 関所で記録に残る 関所破りによる受刑者は5件だそうです その内の一件が このお玉のことらしい

もともと関所は 入り鉄砲に出女 は有名な話し

幕府は 人質である 各藩の妻女が勝手に逃げ出すのを取り締まる目的で 箱根の関所を強化したといいますが
実際にはやりようで お目こぼしや抜け道もあったらしい

ただ 一罰百戒 運が悪いと そろそろやっとくか〜って
見せしめで さらし首にすると 暫く効果が続いたんでしょうね




































お玉は 江戸の奉公先から 伊豆の実家へ逃げ帰ろうとしていた
なんでも 10歳位で奉公に出された先から
17になる頃に女郎屋に売られていくらしい

もとより 親は承知で奉公へ出していると思われるが
それを苦に 逃げ出したのでしょう

将軍吉宗は自らも倹約を旨とし 善政を志した人だとは思いますが 
財政建て直しのために 五公五民など 厳しい年貢の取り立てて 一揆の引き金となったり
必ずしも 当時としては 領民にとって幸せな時代ではなかったのでしょう

政はいつの世でも 良いことだけが続くということはありません

今の価値観で結果を評価して
悪い評価をつけるのはAmazonの理不尽なレビュアーと同じような気がします(笑)

箱根の関所も それから時代が上がると
女手形も簡略化されて お伊勢参りなどが人気となり

実質手形は不要となったそうです


箱根の山は 多くの人が往来し
数え切れない悲しいドラマもあった・・切ない話です

・・が 江戸時代の女性たちは決して虐げられた人々でなく
旅行も楽しみ パワフルに生きて 離婚率も今よりも2倍くらい高かったそうですから 器量と愛嬌で 人生も変わっていたのでしょう

一つの悲しい事実から 全体の女性像まで決めつけてしまうのは 歴史の見方を歪めてしまいそうです

旅先で見つけた 石碑や地蔵から歴史について考えるのも面白いかもしれません









いつもご覧頂きありがとうございます

コメント

  1. plateauさま^^こんにちは~♪

    お玉ケ池もこのような説明をインプットして、
    眺めると感じ方が違うでしょうね。。。
    たいへんお勉強になりました~!!

    3枚目の木道の景がいいですね~!
    薫風を体に受けながら歩いてみたくなりました~!!
    いつもありがとうございます~♪(@_@;)

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    1. 匿名さん

      こんにちは^^

      ここは気が付かないとそのまま通り過ぎてしまうような場所で
      車を止める場所も少し離れているので
      訪れる人も少ないようです

      でも昔と変わらないであろう 景色は心にしみます^^

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