鴎外の旧居跡を訪ねた

上野鴎外居住の跡・・天然鴎外温泉?


FRD-L02 f/4 1/33 4.5 mm ISO 125

最初の妻登志子との新婚生活がスタートした場所
舞姫を執筆したとホテルの公式サイトには説明がありました

今は日帰り温泉併設のホテル(水月ホテル鴎外荘)の敷地内に
建物と庭が残されています

場所は不忍池のすぐ近くで
この鴎外の看板を何度か見ましたが
千駄木にも鴎外資料館があり 縁のある場所だろうなぁとは思っていました

外観はホテルですが 入口から入ると不思議な空間が広がります



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通りから見える部分は近代的なビルですが
中に入ると 内庭があり 細い通路の左側がこの鴎外旧居跡で 奥へ行くと温泉施設があります









こちらの門は後から作られたものですが
建物の雰囲気と合っていて なかなか良いアプローチです








最初の妻 登志子との結婚は僅か2年

親の決めた結婚・・新妻との生活の中で 心はドイツで出会った エリスに有ったのかもしれませんね









離婚してからの鴎外は 軍医として社会的にも大きな責任の中で仕事をしていますが
その功罪については 意見が別れるところです

視点を変えると 作家として また父親としての鴎外はとても優しく
情の深い人だったようですが 軍人として軍医中将としては・・・










脚気の対応によって 2万を超える将兵が死んでいたのも事実で
優しい父であり 文学者として 後進を指導し援助した優しい人が
結果として 多くの同胞を死に追いやったのも事実です


そういう意味でも 鴎外の人生は興味深い
 














脚気は すぐに命に関わる病気ではないので

当時の兵卒が 客観的な事実を知らされたとしても
白いメシが食えないくらいなら 死んだほうがマシだって 言ってたかもしれないですね

”情”というのは 貧しい寒村から兵士として召し上げられた兵隊に
せめて米の飯を食わせたいという 気持ちもあったようです

勿論 外にも 当時の医学の常識とか色々と判断基準は有ったんですけどね









ただし 経験則として ”麦飯”は脚気にならないことを 確信していた海軍さんはほとんど脚気による死者はなかったそうです

そこが 叩かれる大きな理由ですね

このあたりの 判断のまずさ・・・

今の官僚や政治家とも重なる部分・・ありませんか?









この建物は 資料館でなく
メンテナンスをされつつ ホテルの施設として 食事や
ちょっとしたコンサートなどにも使われているようです

結婚記念日や 何かのイベントで
食事を楽しみながら 鴎外に触れるのも悪くないかもしれません




























頼まれなくても・・

何故か この手のものに お金を入れたがるんですよね(笑)







上野公園の散歩は楽しいですよ

不忍池までやってきたら
弁天堂に向かって通りの右へ少し歩いたらすぐにわかります

お時間があれば是非・・お薦めです








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